2代目コルベットが登場したのは1963年。新型車発表は1962年のパリサロンで行われた。
アメリカ車の新型車発表をアメリカ以外の国で行うことは、当時としては異例なことだった。
デザインは、レース用コルベット「スティングレイ・レーサー」がベースになった2代目。
1963年型だけがもつ「スプリット・ウィンドウ」と呼ばれる2分割式型リアウィンドウは、マニアの間では絶大な人気を誇っている。
オープンモデルのみだった初代とは異なり、クーペもラインナップに新たに追加。
シャシーフレームやサスペンションは、当時の最新技術を導入して新しく設計した。
ライバルはキャロル・シェルビーが製作していたフォード・コブラだったが、生産台数は比べ物にならないほど少なかった。
エンジンやトランスミッションは基本的に初代からのキャリーオーバーだが、チューニングが施されパワーアップ。
また、様々なオプションが設定されドライバーを飽きさせなかった。
1963年から2代目(C2)へと進化を遂げたコルベット・スティングレイ。
そのボディスタイルは今見ても“奇抜”と表現されてしまいそうなほどアグレッシブなデザインで、見る者すべての注目を集めた。
初代がデビューした際は、プロトタイプから市販までの期間の短さによって開発陣の理想とは裏腹に様々な妥協を強いられた。
もちろん、マイナーチェンジごとに改良されていったのだが・・・。
一方、C2は10年という歳月を経て、いわば満を持してのデビューとなったのだ。
ホイールベースが従来の102インチから98インチに縮められたシャシーは、完全新設計。
目的はただ一つ、運動性能を高めるため。この頃になると最大のライバルであったフォード・サンダーバードは、スポーツカーから新しい分野である“パーソナルカー”へと転身。
C2から、コルベットはアメリカ唯一の本格スポーツカーとしての役割を担うようになったのだ。
搭載する5358ccV8エンジンは初代モデルからのキャリーオーバー。
オプションではキャブレター仕様の300ps(L75)と340ps(L76)、そしてインジェクション仕様の360ps(L84)をラインナップ。
最強のL84は0→100km/h加速5.9秒というパフォーマンスで、トルクが細いヨーロピアン・スポーツカーと一線を画した。
デビュー翌年、早速ボディ・デザインに細かい変更が加えられた。
当初、リアウィンドウは「スプリット・ウィンドウ」と呼ばれる中央にステーが入った左右分割型。
これが一体化され、一枚モノのリアウィンドウになったのだ。
結果として、1963年式だけが装備するカタチになったスプリット・ウィンドウ。
2万台強が存在するのだが、今ではコレクターズ・アイテムとして人気が高い。
そのほかホイール、ボンネット上面の熱気抜き、リアピラーに設けられている室内換気のためのエア・アウトレットなども意匠変更された。
1965年、エンジンに「ビッグブロック」と呼ばれる6489cc(L78)が追加されたこと。
最高出力425ps/6400rpm、最大トルク45.5/4000rpmを誇るこのエンジンを搭載したモデルは、エンジンフードにエア・スクープが取り付けられた。
ブレーキには4輪ディスクを新たに採用し、オプションでハイ・パフォーマンス・タイヤ、パワーステアリング、ヘビーデューティ・サスペンション、エアコン、大容量燃料タンクなどを用意した。
1966年には6997ccエンジンが追加された。
標準仕様のエンジンは、排気量は変えずにキャブレターを見直すことで300pにパワーアップ。
オプション設定されたエンジンは、5359ccの350ps(L79)、6997ccの390ps(L39)と425ps(L72)の3機種となった。
パワーアップにともない、トランスミッションも充実した。
標準装備される3速MTに加え、3速ATや加速力を向上させるためにクロス・レシオとした4速MTもラインナップ。
ほかにもブレーキサーボ、ヘビーデューティ・ブレーキ、オフロード・エキゾースト、サイド・エキゾーストなども設定した。
テレスコピック機構つきステアリング・コラム、ウッド・ステアリング、レザーシートなども用意し、スポーツカーであるとともに、ハイスピードツアラーとしての性格も強めた。
絶対的なクルマの性能を、エンジンパワーアップで行ってきたコルベット。
C2のラスト・イヤー1967年に、L72エンジンは435psまでパワーアップしL71となった。
手に入れたパフォーマンスは、現在のレベルからしても目を見張る最高速度245km/h、0→100km/h加速5.4秒だ。
このほか400ps(L68)、アルミヘッドを採用した430ps(L88)仕様もラインナップ。
実はL88は500psを超えるワークス・ストックカー用エンジンだった。
実際、レースガソリン以外で走らせることは不可能で、購入時には念書へのサインが求められた。
販売された数は僅か20台。
アメリカ唯一の本格スポーツカーは独自の“路線”で、毎年2万台以上を市場に送り続けた。
GMの規模からすれば少ない販売台数だが、“スポーツカー”であることを考えれば快挙だ。
翌年、この快挙は2代目スティングレイC3に引き継がれることになる。






